
Salvatore Ferragamo(サルヴァトーレ・フェラガモ)
ブランド・生産国:イタリア
創業年 :1927年
価格帯 :7~15万円
有名モデルや木型:ローファー、ブーツ
ファッション性と履きやすさが共存するサルヴァトーレ・フェラガモの靴
サルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo)はイタリアのファッションブランドです。「フェラガモ」と略されます。
フェラガモは1927年にファッションデザイナー、サルヴァトーレ・フェラガモ氏の名前を冠したシューズブランドとして設立されました。高級紳士靴、婦人靴をはじめ、バッグやアクセサリー、腕時計などを扱う総合ブランドです。ただし、現在でもフェラガモのメインとなっているのは靴の販売です。
ファッション性だけでなく、足にフィットとした履き心地を追求して、フェラガモは靴を作ってきました。サルヴァトーレ・フェラガモ氏は1960年に亡くなっていますが、現在もその思いは一族により守られています。
解剖学に基づいた、サルヴァトーレ・フェラガモの靴
サルヴァトーレ・フェラガモ氏は、南カリフォルニア大学で解剖学を学び、足を痛めない靴を制作するための手法を身に付けていました。その解剖学により、顧客の足に触っただけでその人の体調がわかったとも言われています。
サルヴァトーレ・フェラガモ氏が靴屋を開業したのは11歳のときでした。その頃から持っていた靴職人としての強いこだわりが、斬新な形状や素材の靴を生み出し、靴の製作手法に関して、数々の特許を取得したのかもしれません。
フェラガモのレディースシューズは約40もの異なるサイズがあり、足の幅も6種類から選択できます。靴のサイズを細かく設定することで、1人ひとりに最適な靴を選ぶことができます。また、フェラガモのメンズシューズはソールの構造を重視し、耐久性や柔軟性、防水性に富んだ皮を厳選して利用するなど、妥協を許しません。
サルヴァトーレ・フェラガモ の人気とデザイン
フェラガモは、足を痛めない靴を作るという考えのもとに、既存の靴にはない様々なデザインや形状の靴を生み出し、人気を博しました。斬新な靴として代表的なものには、透明なナイロン糸で足の甲部分を作った「見えない靴」や、土踏まずの部分が平らな「ウエッジヒール」、つま先からヒールまでの靴底を分厚くした「プラットホームソール」などがあります。
フェラガモの流行は、すぐに有名人にも広がりました。なかでもオードリー・ヘップバーンやグレタ・ガルボ、マリリン・モンローといったスターはフェラガモの靴を愛用していたとして有名です。その流行ぶりから、サルヴァトーレ・フェラガモ氏は「スターの靴職人」と呼ばれることもあったそうです。
サルヴァトーレ・フェラガモの歴史
1927年、サルヴァトーレ・フェラガモ氏により、イタリアのフィレンツェで、「サルヴァトーレ・フェラガモ」を開業。
1933年、大恐慌の余波を受け倒産するが、イランのソラヤー・エスファンディヤーリー・バフティヤーリー元王妃やインドのマハラニなど、貴族の顧客を獲得したことで復興。
1960年、創始者であるサルヴァトーレ・フェラガモ氏が亡くなる。
1967年、靴だけでなく、アクセサリーやファッションのトータルファッションの展開を開始。この展開は、サルヴァトーレ・フェラガモ氏の次女、ジョバンナが中心となり行われた。
2002年、初のスニーカーライン「フリーダム(FREEDOM)」を発表。
2003年、日本最大のフェラガモの旗艦店が、銀座中央通りにオープン。
2009年、ヨウジヤマモトとフェラガモのコラボレーションシューズを発売。
革靴ブランド辞典より引用
ブランドのはじまり
1927年、サルヴァトーレ フェラガモが自身の名を冠したブランド「サルヴァトーレ フェラガモ」を設立。
サルヴァトーレ フェラガモについて
サルヴァトーレ フェラガモ(Salvatore Ferragamo)はタリアカンパニア州アヴェッリーノ県ボニート生まれ。11歳で、靴屋を開業、15歳でアメリカに渡る。
南カリフォルニア大学で解剖学を修び、足を痛めない靴を製作するための手法を身に着けた。靴の製作手法に関する数々の特許も取得している。靴職人としてのこだわりを強く持ち、履き心地のよい靴を信条とし、足に触るだけで、その人の体調が分かったと言われている。
アメリカではハリウッドスターを顧客にし「スターの靴職人」と名声を得る。顧客には、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、マレーネ・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランド、キャサリン・ヘプバーンなどハリウッド大女優ばかりが名を連ねた。
1927年、イタリアに帰国、フィレンツェでサルヴァトーレ フェラガモを開業。大恐慌の余波を受け33年一度倒産するが、王侯、貴族や有名人の顧客を獲得して復興を果たす。その後、甲部を透明なナイロン糸で作り、革命的と言われた「見えない靴」や、ウェッジ・ヒール、フラットフォーム・ソールの靴など次々と発表した。60年、サルヴァトーレ フェラガモが死去。
※ウエッジヒール…つま先が低く、かかと部分が高い、くさび型のかかとの靴。
彼の死後もブランド、フェラガモは、妻ワンダや子供たちに受け継がれ、67年には、次女のジョバンナ中心となり、レディス、メンズのプレタポルテをスタート。現在では、バッグ、財布、香水なども含めた、トータルファッションブランドとなっている。
2000年秋冬シーズンより、セルッティ、エルメス、トラサルディなどで活躍したマーク・オディベがレディスのデザインを担当。その後、2003年春夏シーズンからは、アルマーニで経験を積んだグレエム ブラックがデザイナーに就任した。
2007年、グレエム ブラックが自身のブランドに専念するためうデザイナーを辞任。後任として、クリスティーナ オルティスがチーフ・デザイナーに就任した。メンズラインはマッシミリアーノ・ジョルネッティが手がけている。2010年秋冬シーズンよりマッシミリアーノ・ジョルネッティがレディース部門のデザインも担当することが決定。
2009年、ヨウジヤマモトとコラボレーションでシューズを発売。
2016年、ウィメンズシューズのデザイン・ディレクターとして、ポール アンドリューが就任。 同年11月17日、ギョーム・メイアン(Guillaume Meilland)がメンズウェアのデザイン・ディレクターに就任。2017年春夏ウィメンズコレクションでデビューを飾ったウィメンズ、レディ・トゥ・ウェアのデザイン・ディレクターであるフルヴィオ・リゴーニ(Fulvio Rigoni)とともに、3人のデザイナーによるクリエイティブ部門が完成した。
ギョーム・メイアンは、ルイ・ヴィトンメンズウェアで2002年にキャリアをスタートさせ、2007年にイブ・サンローランのメンズスポーツウェアデザインを引き継ぎ、翌年10月にランバンのメンズウェア シニアデザイナーに選ばれている。
フルヴィオ・リゴーニは、2016年9月、2017年ウィメンズ春夏コレクションのファッションショーで、グループの新しいウィメンズウェアのデザイン・ディレクターに就任。イタリア生まれで国際的に活躍し、サルヴァトーレフェラガモに入社する前には、プラダ、グッチ、ジル サンダー、ディオールなどで活躍していきた。
2017年、ポール・アンドリューをウィメンズコレクションのクリエイティブ・ ディレクターに就任。2018-19秋冬コレクションよりデビュー。2019年2月、ウィメンズ部門のクリエイティブディレクターのポール・アンドリューがブランド「サルヴァトーレ フェラガモ」全体のクリエイティブ ディレクターに就任。
2021年4月、ポール・アンドリューが退任。当面の間は、既存の社内 デザインチームによってフェラガモのコレクションやデザインディレクションは監修される。
サルヴァトーレ フェラガモのデザイナープロフィール
ポール・アンドリュー(Paul Andrew)は、2016年9月にウィメンズ・シューズの新しいデザイン・ディレクターに指名され、2017年プレフォールコレクションでデビュー。2013年には、自身の名を冠したブランドを創設し、すぐに業界において、その高いクリエイティブ力で知られるようになる。2014年には CFDAとVOGUEが共催するファッション基金アワードで、シューズデザイナーとして初めてグランプリを受賞。2017年、ポール・アンドリューをウィメンズコレクションのクリエイティブ・ ディレクターに就任。シューズ、ウェア、アクセサリーなど全てを統括することになった。
ファッションプレスより引用