
MIHARA YASUHIRO(ミハラヤスヒロ)
ブランド・生産国:日本
創業年 :1997年
価格帯 :3-5万円
有名モデルや木型:あぶり出し、炙り、ブーツ
BRAND
PROFILE
1997年にシューズブランドとしてスタート。既存の枠にとらわれない発想や、深く踏込んだデザインワークをシューズはもちろんの事、ストイックだが遊び心のある服をテーマに国内外問わずそのデザインは注目を浴び続けている。
DESIGNER
PROFILE
1972年、長崎県出身。1993年に多摩美術大学デザイン学科テキスタイル学部に入学。1994年の学生時代から独学で靴を作り始める。1996年には靴メーカーのバックアップにより「archi doom」を立ち上げる。1997年に大学卒業後、名前を「MIHARAYASUHIRO」に変え、コレクションブランドとしての始まりを迎えた。
公式サイトより引用
シューズブームの火付け役となった、ミハラヤスヒロ
ミハラヤスヒロ(MIHARAYASUHIRO)は、三原康裕によって1996年に創立されたファッションブランドです。レザーなどの素材にこだわり、独自の感性を取り入れた特徴的なデザインのシューズを多く発表しています。
ミハラヤスヒロと「プーマ・バイ・ミハラヤスヒロ」
ミハラヤスヒロのシューズの中でも有名なのが、プーマ・バイ・ミハラヤスヒロ(PUMA BY MIHARAYASUHIRO)です。プーマとミハラヤスヒロのコラボレーションスニーカーで、世界各国で発売されたことによりミハラヤスヒロの名前も世界に知られることになりました。
プーマ・バイ・ミハラヤスヒロは2000年の発売当初、日本限定2000足で発売されましたが、好評により翌年から海外でも発売されます。
このコラボレーションは現在も続いており、シーズンごとに違ったテーマで作られる靴を楽しむことができます。
ミハラヤスヒロの靴へのこだわり
ミハラヤスヒロの靴は最初に木型が作られます。寸法が出た木型をもとに足の骨格を考えながら調整し、その後どんなソールを付けるかを考えてから表面のデザインを決定します。また、靴の底を付ける製法を複雑にしたり縫い方を自分でアレンジしたりと、製法においてもミハラヤスヒロらしさがあります。
近年では、靴を独自の色に染色して変化を楽しむことができる、靴クリーム入りのシューケアセットを発表しました。この靴クリームには独自に開発された染料が入っており、染色しながら革の表面を保護することができます。クリームを重ねる度に色が変化するため、自分だけの色にすることもできます。
ミハラヤスヒロの歴史
1996年、デザイナー三原康裕が多摩美術大学在学中に、ブランド「arch doom(現ミハラヤスヒロ)」をスタート。
1997年、ブランド名を変更し、シューズメーカー「ミハラヤスヒロ」に。
1998年、南青山にミハラヤスヒロのオンリーショップをオープン。
2000年、プーマとコラボレートしたスニーカー、「プーマ・バイ・ミハラヤスヒロ」を発売。
革靴ブランド辞典より引用
ブランドのはじまり
1996年、三原康裕がシューズブランドを「ミハラ ヤスヒロ」スタート。
メゾン ミハラヤスヒロについて
ミハラ ヤスヒロ(MIHARA YASUHIRO)は日本のファッションブランド。ブーツ、スニーカーなど素材への拘り、デザイン性の高いシューズが人気。また、シューズ同様、ウェアでもデザイン性と素材への拘りが反映されており、高い評価を受けている。これらのバランスを考慮すると、コストパフォーマンスの高い価格設定も魅力。
デザイナーの三原康裕は1972年、福岡県生まれ。母が画家であり、母の英才教育により幼い頃から絵画を描き、芸術的に恵まれた環境に育つ。父はニワトリのワクチンの研究家。多摩美術大学テキスタイル学科卒。
94年、多摩美術大学在学中、なめし(※)工場で革に関する知識を習得。職人から靴を作るときに使用する木型作りを学び、独学で靴作りを始める。96年、大学在学中にメーカーのバックアップもあり自身の名を冠したオリジナルブランド「ミハラ ヤスヒロ」をスタートさせる。97年卒業するとケイタ マルヤマなどブランドとのコラボレーションを積極的に行なう。
98年、南青山にミハラ ヤスヒロのオンリーショップをオープン。1999A/Wコレクションよりウェアラインを開始。99年には有限会社「SOSU」を設立し、新店舗を表参道に移す。2000S/Sにはレディースウェアコレクションを発表。2000S/Sよりメンズコレクションをスタート。
2000年、プーマとのコラボレーションで、プーマ・バイ・ミハラ ヤスヒロ(PUMA by MIHARAYASUHIRO)を発表。このコラボレーションスニーカーは世界各国でも販売され、世界的に名が知られるようになる。
2005A/Wには、ミラノコレクションに初参加。2007A/Wから、発表の場をパリに移す。パリでの最初のコレクションでは「詩が聞こえる服」と高く評価される。
2009年、3年ぶりにレディースラインを東京コレクションにて発表。2013年、ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)とコラボでコレクションを発表。
2014年、ビジネスシーンへ向けた新シューズライン「MIHARAYASUHIRO Bussiness Line」を発表。
2016年1月上旬、新ライン「マイン(MYne)」誕生。
2016-17年秋冬シーズンからは、コレクションラインを新たなブランド名「メゾン ミハラヤスヒロ(Maison MIHARA YASUHIRO)」としてリスタート。従来の「ミハラ ヤスヒロ(MIHARA YASUHIRO)」は、ベーシックウェアを展開するラインとなった。
2017年秋冬コレクションより、新ライン「フィット ミハラヤスヒロ(FIT MIHARA YASUHIRO)」を立ち上げる。コンセプトは、「Lightly Elegance」で、デザインを削ぎ落とした先に見出す“着る人の魅力” を引き出すことを意味している。ディテールの遊び心にこだわるMIHARA YASUHIRO のアイデンティティも同時に表現。あえて明確なシーズンコンセプトは定めず、多様な要素がバランス良く落とし込んでいく。刺繍やプリント柄など、モダンかつひと捻りあるデザイン、見た目のモダンさに反した触り心地など機能性も追求している。
2021年3月、すべて天然由来の素材を使用した新スニーカーライン「ジェネラル スケール」がデビュー。
2021年春夏シーズンより、新メンズライン「イン・ストル(メンタル)(in・stru(mental))」が登場。メゾン ミハラヤスヒロとは対照に、デザインを削ぎ落とし、上質で洗練された“普段着”として日常に寄り添うメンズアイテムを展開する。
■「マイン」について
「マイン」は、ミハラ ヤスヒロの革新的なスタイル美学を受け継ぎながら、ストリート・モード・スポーツの要素を取り入れ、ストリートにアンテナを張る若い世代のアイディアを取り入れているのが特徴。ディレクターは喜覚陵介。同年、表参道ヒルズに旗艦店を移転リニューアル。
2018年10月、「マイン」のディレクター喜覚陵介が退任。2019年春夏コレクションより新ディレクターに神谷康司が就任。
ファッションプレスより引用