
Bally(バリー)
ブランド・生産国:スイス
創業年 :1851年
価格帯 :3~15万円
有名モデルや木型:ブーツ、スエード
1851年にスイスで創業したバリーは、世界的に長い歴史を誇るラグジュアリーブランドの一つとして名を連ねています。レザーの建築家としての矜持と熟練の靴職人としてのDNAに突き動かされ、歴史に裏付けられたクラフトマンシップと確固たるコンテンポラリーなデザインを融合しています。
カール・フランツ・バリーがシェーネンヴェルトで家族経営のリボン工場として創業したバリー。急成長を遂げ、世紀末に差し掛かるころまでにはパイオニア的なグローバルブランドとして確立しました。その背景には、製造工程を産業化し(1854年)、従業員を支援する経営基盤とサービスを充実させ、後にモンテビデオ、ウルグアイ(1870年)からフランスのパリ(1879年)にまでブティックをオープンすることにより、販路を拡大したことがあります。
1942年、カール・フランツ・バリー(Carl Franz Bally)が所有していたシェーネンヴェルトの家に、5,000年にわたるシューズや関連工芸品を展示する「バリー・シュー・ミュージアム(Bally Shoe Museum)」が設立されました。古代エジプトのサンダルや中世のプーレーヌから、現代の精巧なパンプスに至るまで、所蔵するコレクションからは、シューメイキングのエキスパートとしてのBallyの変わらぬ情熱が感じられます。
About Us
About Us
そして今日、その品質こそがすべてを雄弁に物語るという信条の下、時を経ても色褪せない伝統を固く守り続けています。バリーにとってもっともアイコニックなシューズでさえ、熟練技を要する240もの工程を経て、現在でもスイスにて手作業で制作されています。創業100周年を祝った1951年、創始者であるカール・フランツの孫マックス・バリーが立ち上げたSCRIBE メンズフォーマルコレクションもその例外ではありません。
クラフトマンシップAbout Us
バリーは、タイムレスであることに一貫してこだわりつつも、個性を求める姿勢があります。幅広い世代から成る職人チームは、製造拠点であるスイスのカズラーノにて、伝統に則り、きめ細やかな注意を払いつつ、手作業による制作に従事しています。送り出すシューズ、アクセサリー、レディ・トゥ・ウェアのすべては、妥協を許さないこだわりの賜物です。
舞台裏を撮影したムービーシリーズでは、バリーのクラフトマンシップの世界をご覧いただけます。
革新About Us
バリーは、既存の概念を打ち破る、機能性を追求したファッションを生み出しています。1953年に初のエベレスト登頂を達成したテンジン・ノルゲイが履いたアイコニックなレインディア・ヒマラヤブーツであれ、冬季オリンピックのスイス代表選手団が着用したテクニカルなカーリングシューズであれ、デザインの具現化におけるAIと3Dプロトタイプの活用であれ、多岐にわたる最先端技術を駆使することにより、最大限の可能性を追求しています。
最新のカーリングシューズコレクションは、「一歩その先へ」キャンペーンの中でご覧いただけます。
創造性About Us
現代的な建築や芸術から得たインスピレーションを基に、控えめでありながらも今の時代を反映する美しい作品のデザインに取り組んでいます。クリーンなラインやシグネチャーともいえるエッジの効いたデザイン、レッドとホワイトのクラシックなBally Stripeや左右対称の1851メタルパーツをはじめとするバリーのアイコンを巧みに取り入れたコレクションは、時代が変わっても色褪せない魅力を湛えています。
コラボレーションAbout Us
20世紀初頭を皮切りに、フランス人イラストレーターのベルナール・ヴューモと世界中で高く評価された広告ポスターを制作したほか、コルビュジェ、カール・モーザー、ロベール・マレ=ステヴァンス、アンドレ・プットマンなどの今は亡き伝説的な建築家など、バリーは世界屈指の錚々たるクリエイティブな人材と共に数々のコラボレーションを手掛けてきました。最近では、受賞歴を持つ建築事務所キャスパー・ミュラー・クニ―ル・アーキテクツが2019年にミラノにてバリーハウス旗艦店を設計しました。
Bally A-Zをご覧ください。レナード・コック、アビー・ロッシング、ジョージ・ワイルソール、ブライス・ワイマー、ニーナ・ウィールとエヴェリン・ローブのデュオなど、著名なイラストレーターたちとのコラボレーションで、バリーのDNAを形成してきた物語をアルファベットで称えます。
コミュニティAbout Us
バリーは、常にスイス精神を抱きつつ、世界に対してオープンな心を持っています。「豊かな生き方のアート」を推進するBally Collectiveのメンバーに始まり、環境活動家兼登山家のダワ・スティーブン・シェルパやジャムリン・ノルゲイに至るまで、都会でも、大自然の中にあっても心地良い拠り所を見出す私たちのネットワークは、裾野が広く、懐の深いバリーの文化を象徴する存在と言えます。
環境About Us
スイスのアルプスで産声を上げたバリーは、携わるすべての活動に自然を反映することに献身的に取り組んでいます。Bally Peak Outlook財団(2020年に設立)を通じて山岳環境保護に向けた有形の活動を展開するほか、コレクションには自然の要素から得たインスピレーションを還元しています。
サステナビリティに対するアプローチと、危機に瀕している世界中の山岳の環境保全を掲げるBally Peak Outlook財団についてご覧ください。
全世界で展開されているアパレルブランド、バリー
トータルアパレルブランドとして世界中にショップを展開しているバリー(BALLY)ですが、元々はリボンを作る会社でした。
靴を作るようになったきっかけは、創設者のカール・フランツ・バリー氏がフランスを訪れた際、街行くパリジェンヌが履く靴の虜になってしまったことだったそうです。
バリーのブランドに対する考え
バリーの歴史は長く、現在は世界中に店を構えています。バリーがこれまでに発表してきた靴のラインナップは、気が遠くなるような数です。安価なものから高級なものまで揃えているので価格帯や使用されている素材、製法は多様です。
そうした理由から、「バリーの靴がどんな靴でどんな特徴があるのか」という問いかけには答えることができません。
ただ、バリーの靴作りに関して確実に言えることがあります。
それは、大量のラスト(木型)を所有していることです。当たり前のことなのですが、世界中の人々が履く靴を作るブランドは、非常に多くのラストを持っています。
それはつまり、バリーの靴が世界中で愛用されていることの裏返しです。
世界有数(のアパレルブランド)という領域まで来ると、ネームバリューがモノを言っているような気もします。歴史あるブランドの大半に言えることですが、そのような評価を受けやすいというのは事実です。
しかし、長い歴史を持っているということは、常に時代ごとの空気を感じ取り、新たな試みや取り組みを怠らなかったという証であると言えます。
バリーもまた、そうしたブランドのひとつと言えるでしょう。
このようなブランドとしての姿勢こそが、バリー最大の魅力ではないでしょうか。
もちろん靴作りにおいても抜かりはなく、新たな風を起こし続けています。
そんなバリーの信条は、「何時の時代にも愛され続ける永遠なもの」です。
バリーの歴史
1851年、スイスで設立したのが、シューズメーカー「バリー」の始まり。創業者はカール・フランツ・バリー氏とその弟。現在はトータルアパレルブランド。
1890年代に入って間もなく、ロンドン、フランスなど、ヨーロッパ各国に展開。
1976年、ハンドバッグやレザー製品をラインナップに追加。
1999年、世界屈指の投資会社「テキサス・パシフィックグループ」が資本参加。
2000年、ニューチームを結成し、「最高の最上の日常着」をテーマに新生バリーが始動。スコット・フェローズ氏(サルバトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo)から)をクリエイティブ・ディレクターに抜擢。
2001年、ミラノコレクションデビューを果たす。
2002年、レディース商品のクリエイティブ・ディレクターにメリッサ・メイッシュ氏(ファッションデザイナーであるジョン・ガリアーノの元部下)を起用。
2007年、新クリエイティブ・ディレクターにブライアン・アトウッド(ジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)から)を抜擢。
2008年、「ラベルクス・グループ」がバリーを買収。ラベルクス・グループの傘下には、ニューヨークのファッションブランド「デレク・ラム(Derek Lam)」やイタリアのアクセサリーブランド「ザグリアーニ(Zagliani)」などが入っている。
その後、ブライアン・アトウッドの後継者にマイケル・ヘイツとグラエム・フィドラー(アクアスキュータム(Aquascutum)から)を起用。
革靴ブランド辞典より引用
ブランドのはじまり
1851年、スイスのシエネレベルト(シェーネンヴェル)でカール・フランツ・バリー(Carl Franz Bally)が創業。
バリーについて
バリー(Bally)はスイスのファッションブランド。シューズやレザーグッズ(バッグ、財布、グローブ)を中心に、アパレル、アイウェアなどトータルで発表。洗練されたクラシックなアイテムから、色鮮やかで大胆なディテールを取り入れたモダンなアイテムまで展開している。白と赤、白と黒など2色のラインを配置したデザインがトレードマーク。
バリーの沿革・歴史
1851年にカール・フランツ・バリーは、弟とともに「Bally&Co」を設立。ゴム製リボンとサスペンダーの製造業を引き継ぐ形でリボンメーカーから開始。パリに出張した際に見たパリジェンヌの靴に魅了され、靴の開発をスタートさせる。
その後、工場設立、スチーム機の導入などに始まる生産ライン確立と着々と規模を拡大し、1870年代には、アメリカやイギリスの最新の技術を取り入れ、製造工程の効率化に成功。効率的な生産のみならず、素材の品質と、洗練されたデザインでバリーの靴は、高級品として取り扱われた。その後、イギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパ各地に進出。この頃には年間で200万足を生産するまでに成長した。
1900年代、レジャーなどの普及もあり、機能性の高い、パンプスがスポーツウェアとの組み合わせで、人気となる。1907年株式公開。
その後、2度の大戦と世界恐慌をは挟んで、打撃を受けるものの、スポーツテイストの機能的な靴でさまざまな場所でバリーの靴は用いられ、50年代には、エレガントなメンズのドレスシューズ、「スクリープ」がヒット。この時期、ブランドとしても成長を取り戻す。
1976年、服(アパレル)とハンドバックおよびレザー製品のアクセサリーをブランドのラインナップに追加。77年には創業家一族から会社が離れる。88年、日本でバリージャパンが設立。この時期ライセンスの量産でブランドとしての価値がやや低迷(80年代はクリスチャン ディオール、ピエール カルダンなども同様の問題を抱えていた。)
1999年に、世界有数の投資会社テキサス・パシフィックグループが資本参加。2001年新CEOマルコ・フランキーニが就任。インターナショナルデザインチームを結成、「最上の最高の日常着」をテーマに、全世界のイメージを統一、またバッグ、プレタポルテも含めたトータル・ファッション・ブランドへと進んでゆく。バリーは都会的なイメージのブランドへと変わり出す。
2001年にクリエイティブ・ディレクターにサルヴァトーレ フェラガモで経験を積んだスコット・フェローズが就任するも、2002年に辞任。その後、メンズ全般とレディースのプレタポルテはジョン ガリアーノのもとで働いていたLuca Ragonese(Luca Ragoneseは2006年37歳の若さで死去)が就任、レディスアクセサリーはメリッサ・メイッシュが就任した。
2008年秋冬コレクションからブライアン アトウッドがクリエイティブディレクターに就任。(ブライアンアトウッド:ヴェルサーチで靴を中心としたアクセサリーラインを手掛けた後、独立し自身のブランドを立ち上げていた。)
2010年4月、アクアスキュータムのヘッドデザイナーを務めたマイケル・ヘルツとグラエム・フィドラーがクリエイティブ・ディレクターに就任。バリーの伝統を重んじながらもモダンさをプラスしたデザインを打ち出す。
2014-15年秋冬コレクションよりデザインディレクターに、セリーヌやトム フォードでキャリア経験のあるパブロ・コッポラを起用。アイウェアなどを含むメンズ・ウィメンズ、全てのコレクションのデザインを担当する。
2016年、世界最大の旗艦店が「東急プラザ銀座」にオープン。
2018年、中国の山東如意(伊藤忠商事の関連会社)がバリーの株式を取得。グループに入ることになった。
ファッションプレスより引用